日本の皇室から朝鮮の王族に嫁がれた李方子女王

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韓国の歴史の教育を禁じたというのも、事実と異なります。呉女史は、次のように述べています。総督府は、本土と同じ普通学校制を施行した。そして、日本語、朝鮮語、算数、日本史、朝鮮史、朝鮮伝統の修身などの教育を、公立学校を中心に展開した。
また、国立大学(京城帝国大学)の設置、文学・芸術活動の活性化などの文化政策を推進した。新たに設置された各種の学校は、千校にのぼった。言い換えると、日本統治下で、日本が朝鮮史や朝鮮伝統の修身、文学・芸術の活性化に力を入れたから、朝鮮の歴史や文化、伝統がしっかりと残っているのです。
特筆すべきは、日本統治下の朝鮮では、日本人と一緒に、朝鮮人も授業を受けていたことです。逆説的に言えば、日本人は朝鮮人と同じ教育を、日本統治下の朝鮮で受けていたことになります。イギリスのインドや香港の統治で、イギリスの白人とインド人や中国人が、一緒に学校教育を受けることなど、あり得なかったのです。
植民地の先住民に対して、宗主国が教育を熱心に施すことなど考えられません。南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)と同様に、宗主国の欧米列強の白人学校に、先住民を入学させ、共に学ぶなどということは、想像することさえできなかったのです。
この意味でも、日本の朝鮮統治は、欧米の「植民地統治」などとは、全く違う、別次元、別世界のことだったと言っていいでしょう。日本による「皇民化」とは、石原莞爾が掲げる「五族協和」という人種平等の理念がもたらした、異民族統治であり、日本は法律によって、朝鮮人と日本人とを、対等に、同じ「皇国臣民」として迎え入れたのです。
朝鮮王族に嫁いだ日本の皇族・李方子女王がいます。日本の朝鮮統治に関して、イギリス人が何よりも驚いたことは、日本の皇族が、朝鮮の王族に嫁いだ事実です。イギリス王室が、植民地となったインドの王族に嫁ぐであろうか。それは、想像を絶する関係と言えます。白人キリスト教徒にとって、キリスト教に改宗しない有色人種など虐殺対象だった。
キリスト教に改宗すれば最下層の人間ともみなされましたが、そうでなければ奴隷か猿扱いだったのです。インド人も中国人もそうでした。人間が猿と婚姻を結ぶことをどう思うか考えること、それ自体が罪深いことだったでしょう。それはタブー、禁忌です。
その背景があるから、日本の皇室から朝鮮の王族に嫁がれた李方子女王のことを知った時には、イギリス人は衝撃を受けました。日本が朝鮮を「合邦して、対等に扱おうとした」ことが、理屈抜きに理解できたのです。